お値段の話

世間じゃTK-Xの調達単価7億円が随分と驚きをもって迎えられてるようで、中には有り得ない絶対もっと高騰すると現実逃避してるお方まで居る始末。
しかしP-1の予想平均調達単価を先に見ていた当方にして見れば、もっと別の感想が浮かんでくる次第である。
すなわち、何時何処で費用抑制を果たしたのか、ということだ。
もっとも安易な結論は性能の劣化によって単価を削るという発想であるが、性能が必ずしも価格に反映されないことは幾つかの例、例えばARH-70やP-8Aなどを見れば判る。
第一P-1もTK-Xも性能で妥協していると推測するに足る情報は(値段以外)存在しないし、寧ろ当方には一切の妥協もないと思えるぐらいであるが。
では逆に何が価格高騰の要因となるのかと言えば、良く聞かれるのが開発費の高騰に従って単価も高騰するというものである。
というか調達単価が高騰した装備は大抵、何らかの形で開発費が高騰しており、ここに単価高騰の原因を求めることが出来る。


開発費が計画開始後に高騰するのは、概ね何らかの理由で資金の途中追加を余儀なくされたことに起因する。
その理由はと言えば開発途上での要求仕様追加であったり、重大な不具合による設計変更であったり、とまぁ蛇の目大好きっ子ならお馴染みの内容だ。
だが仕様追加はともかく、不具合による設計変更は作り直しや再試験の期間なども含めて最初から織り込んでいるのでは、と思うところ。
しかしそれが困難な場合がある、開発スケジュールの超過密化だ。


ここで幾つか開発スケジュールの超過密化による開発費高騰の実例を見てみよう、最初はFS-X(現F-2)だ。
FS-X計画の顛末については良く知られているところで、FLCSソースコードやエンジン技術の供与拒否といった外乱要因やそもそもの単独開発から共同開発への変更などにより、開発開始時期そのものがF-1の退役に間に合わくなるまで遅れてしまった。
その影響によって開発スケジュールは超過密化し、飛行試験と静強度試験を同時並行して実施するという本邦らしからぬ綱渡り開発となってしまったのだ。
飛行試験と静強度試験の同時並行による影響は知っての通りで、元々余裕などなかった開発スケジュールは更なる遅延を強いられることとなった。
結果として本邦にて開発された航空機としては異例とも言えるほどの単価高騰を招き、今日に至るまで戦力整備計画に禍根を残している。


二つ目の実例は当方が散々槍玉に挙げている、米国のMMAことP-8Aだ。
MMA計画は1980年代半ばに開発の検討が始まっており、1989年にはロッキードのP-7案が選定され契約締結された。
ところが開発遅延と予算超過が見込まれたとの理由で1990年に計画そのものが中止、計画を再開したのは2000年になってからで、結局ボーイングのP-8Aが選定されたのは2004年になってからであった。
計画遅延の影響は深刻で、GAOの報告書は「4つのクリティカルな技術が未成熟な状態にある」という表現で同機の要素技術が突貫作業で進められていることを示唆している。
更には4つのうち幾つかは本体の開発期間中には間に合わず、開発が完了するまで既存の代替技術をバックアップとして用いる可能性がある、とまで報告書は書いている。
ところがこれほど計画全体遅延したにも拘らず、海軍は同機の2013年からの戦力化を目指しており、これは開発スケジュールで先行しているP-1のたった2年後である。
同機の単価や開発費についてはもはや今更触れる気にはならないが、異常な早さでの戦力化を求める開発姿勢を見ていると当然の結果であろうと思う次第だ。


以上の事例から導き出せる結論の一つは、不完全な、あるいは期間内で完成する見込みの乏しい要素技術はあまり採用すべきでないということである。
もう一つの結論は、政治的要因による遅延を安易に技術的努力で解決しようとすれば、目指すものに対して不釣合いなほどの出費を強いられると言うことだ。
上記二事例と良く似た状況にある計画は他にもまだまだあり、A400Mやボーイング787が何度も計画の遅延を報じられて久しい。
また本邦でもかつて富士重工が贈収賄に対する制裁措置として取引停止にされ、US-2やFFOSなどの開発及び配備計画に重大な影響を及ぼす結果となった。


と言ったところでP-1とTK-Xに視点を戻すと、何故あれほどの価格を実現できたのかが見えてこよう。
P-1とC-2の開発開始は2000年であるが、いわゆる部内研究を見ると計画開始は1986年にまで遡ることができる。
これは米国のMMAとほぼ同時期で、MMAが途中で10年間計画を断絶させていた間も技本は各種の要素技術開発を粛々と進めていたのだ。
TK-Xも状況は似たようなものである、というのもTK-Xの開発は90TKの開発が完了した直後から始められていたと言われているからだ。
評価資料では1996年から部内研究研究試作の開始が確認できる他、アクティブ懸架装置の要素技術とでも言うべきセミクティブ懸架装置を搭載した装軌実験車MRVの試験は1995年9月以前にまで遡れる。
年号ばかり並べてると判りづらいのでTK-Xと90TKの部内研究研究試作から制式化までの期間を表にして見る事にしよう。

部内研究研究試作〜試作 試作〜制式化
TK-X 6年以上 9年
90TK 3年以上 9年


直接的な試作期間よりも部内研究研究試作期間の方が差が出ているのが一目瞭然である。
90TKも74TKの制式化直後から研究が始まっていたらしいが、本格的な部内研究所内研究の開始は1977年以降ということだ。
従って部内研究所内研究開始から制式化まで90TKは13年となり、TK-Xはそれより若干長めの期間を与えられていることになる。
まぁ74→90と90→TK-Xでは4年も伸びてる訳で、TK-Xの方が余裕のある開発スケジュールであることは想像に難くない。
そんな訳で、常日頃から要素技術を粛々と開発しておくのは非常に意義あることだ、などと月並みなことを言ってみる。
まぁ要素研究期間以外にも開発費抑制をもたらしたであろう要素は幾つもあるのだが、それはまた機会があれば。