空母保有論の是非

我が国は四方を海に囲まれ、重要な物資資源を海外からの輸入に頼る海洋国家である。
故に海運航路の安定化は重要で、特に東南アジアは中東からの原油の輸送路として非常に重要視されている。
マラッカ海峡や台湾近海などはまさに日本の大動脈とも言え、この地域の安定化は我が国の安全保障上でも非常に重要視されている。
これらの地域安定化への行動の例として、東南アジア諸国への退役艦艇や巡視船の輸出や台湾への潜水艦輸出を目指す取り組みなどが挙げられる。*1
一方で、我が国の戦力を拡大する事によって安定化を図ろうとする向きもある。
その中でも特に極端なのが、空母を保有して上記地域に展開させるというものである。
狙いは空母を展開させる事により、東南アジア諸国ないし台湾と中国の軍事バランスを逆転させる事と思われる。
あるいは尖閣諸島を巡る戦闘に備えて、または朝鮮半島有事に備えてという意見もある。
何れも空母を展開させる事で航空戦力を即時展開させる、あるいは敵地上部隊への攻撃を容易にするのが狙いであろう。
では空母保有の実現性と必然性は、果たしてどれ程のものであろうか。


まずシーレーン防御に空母が必要かどうか、と言われれば現状の枠組みの中では全く必要ない。
そもそも中国空軍の航空機の大半は長距離の作戦能力が無く、給油機の装備すら最近になっての話である。
マラッカ海峡に態々空母を展開させるまでも無く、同地域の航空兵力で十分に抑止できるのだ。
台湾や沖縄ともなれば、中国空軍は殆ど脅威にならない。
台湾海峡には多数のパトリオット*2と西側第3〜4世代戦闘機*3、沖縄には在日米軍と陸空海自衛隊が展開している。
少なくとも航空兵力は差し迫った脅威とは言い難く、今後も我が方に追い付くとは考え難いのである。
また半島有事となれば、我が国の航空兵力が出向くまでも無く米空母と在日在韓米軍で必要な任務は遂行可能である。
シーレーン防御で重大な脅威となる可能性が高いのは、航空兵力よりも寧ろ水上艦艇や潜水艦である。
そしてこれらの脅威も、少なくとも我が国周辺では十分に対処可能なレベルである。
冒頭での台湾への潜水艦輸出話が出て来たのは、台湾海峡の海中の守りが旧式の潜水艦だからである。
実際には先の海賊事件を見れば判る通り、マラッカ海峡などでの海賊行為が現在最も差し迫った脅威と言える。
同地域で海賊ではなくテロが発生すれば、その混乱の度合いは先刻の事件の比では無いだろう。
東南アジア諸国への退役艦艇輸出の理由もやはり、同地域の国々の装備が貧弱であるからに他ならない。


次に空母を実際に保有可能かどうかであるが、紙の上では可能、実際には不可能と言うのが答えである。
まず予算の上から言って不可能である。
仮に一隻造ろうとすれば、現在4ある護衛艦群一つを削らねばならなくなる。
そして最低でも整備と補給の都合上、三隻は造らねばならない。
この単純な試算だけでも判るであろうが、一隻作っただけでも致命的な戦力の空白が発生する事になる。
予算的に妥協しようとすれば、今度は戦力的に中途半端な軽空母に落ちてしまい、導入する意義が殆ど無くなってしまう。
特に早期警戒機の運用が困難、もしくは不可能となり、防空能力を著しく欠いた艦隊となってしまう。
ましてヘリ空母にまで落とすのは論外と言っても良い。
現用のDDG*4やDDH*5を潰してまで導入する価値は、全く無いのだ。
また人員の問題も、正規空母軽空母如何に拘らず発生する。
比較的新しく省力化の進んでいる「インヴィンシブル級」ですら、1万6千t強の船体で1030名もの乗員を必要としているのである。
まして正規空母ともなれば、必要な人員数は膨大なものとなるであろう。
ニミッツ級」の乗員は10万tの船体に搭載機85機分の搭乗員込みで5680名となっている。
ちなみに現在「はるな型」DDHの後継として計画されている13500tDDH、通称「16DDH」はインヴィンシブル級とほぼ同じ規模の船体でありながら乗員は400名を下回る事となっている。
これは「16DDH」があくまもでヘリ甲板をギリギリまで拡大したヘリ搭載護衛艦であるからに他ならない。
専属の搭載ヘリは4機で、残りの広大な格納スペースは艦隊内の他艦のヘリも収容する事を想定しているのだ。
少なくとも空母と呼べるような性格のものではない事は確かであり、空母搭乗員数の参考としては不適当である。
仮に「16DDH」の甲板に改造を施してV/STOL機*6の運用をしようとしても、400名弱の乗員では大した機数を運用する事は出来ないであろう。
艦載固定翼機を航空兵力として成り立たせる最低ラインはおおよそ10機、まず以ってして400名では整備しきれない。
回転翼機8機搭載のヘリ空母ジャンヌ・ダルク級」ですら627名の乗員を抱えている。
「プリンシペ・デ・アストリアス級」は固定翼機10機搭載で乗員数約700名である。
搭載機数を多くすればするほど必要乗員数が増えるだけでなく、同時に費用も雪達磨式に増えていってしまう。
米国と英国以外の空母保有国の大半がその維持すら困難な状況にあるのは、単純に必要経費が膨大だからである。
英国でさえそのしわ寄せは陸空軍や海軍の通常艦艇に及んでおり、フランス海軍では空母以外の艦艇維持すら困難となった時期さえある。
近年になって空母保有を目指すようになった中国海軍の関係者が漏らした「空母は傾国の美女」という言葉は、その実態を実に如実に表していると言える。

*1:何れも様々な理由により実現はしていない

*2:MIM-104長距離地対空ミサイル

*3:ミラージュ2000やF-16

*4:対空誘導弾搭載護衛艦こんごう型など

*5:ヘリ搭載護衛艦はるな型など

*6:垂直/短距離離着陸機:ハリアーなど