日本における核武装論と国民皆兵制無いし徴兵制の是非


本日はまず現代における徴兵制について。
結論から言ってしまえば、今日の戦場において徴兵制を採用するメリットは、少なくとも先進国では全く無い。
高度な専門化が進んだ現代の戦場において、数ヶ月の訓練と3年程度の兵役者など無用でしかないのだ。
徴兵制自体の成り立ちや各国の現状は以下のJSF氏のサイトの紹介を以って代えさせて貰うが、少なくとも志願制から徴兵制に逆行する国は殆ど無い。
http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_0.html
では我が国で叫ばれている徴兵制の必要性とは如何なるものか、大雑把ではあるが以下に列挙してみる。
・戦争に備える為
対テロ戦争での人員不足解消
・不労者などへの躾け
まず戦争に備える為、と言うのが明らかに間違っているのはそれなりの軍事知識を持つ者であれば判るであろう。
徴兵制のメリットである兵員数の多さが物を言う、つまりは人海戦術*1が通用したのは精々60年代あたりまで。
それ以降は量よりも質が物を言う、少数精鋭が各国軍の風潮となっている。
これは単に質で量を凌駕するというだけの問題でなく、兵器の単価や開発費が高騰していた事も影響している。
質と量はトレードオフ、予算の制約がある限りこの両立は不可能なのである。
更に忘れてはならないのが人件費の高騰、つまり兵士そのものの値段である。
有名どころでは我が国の自衛隊の予算のうち、実に6割前後が人件費に費やされている。
一例として、戦闘機のパイロットが養成費だけで1億から2億とも言われている。
戦争に備える事即ち徴兵制、というのは短絡的であるばかりか余りにも愚かしい発想としか言いようが無い。
人員不足解消という面でも同様である。
現在の自衛隊の倍率は不況や公務員であると言う事もあって非常に高く、徴兵制を敷く程までに人数には困窮していないのだ。
人員数を増やせないのは単純に予算の問題で、これは自衛隊創設以来の悩みの種でもある。
去年の予算折衷劇では陸自の兵員実数を増やせた代わりに、人件費以外の予算が圧迫される結果となっている。
我が国は北朝鮮のテロ攻撃だけでなく中国との正規戦闘にも備えなければならず、安易に人員と装備費の比率を変える訳にはいかないのである。
最後の不労者などへの躾けに至っては論外としか言いようが無い。
軍隊に求められているのは働く意思=戦う意思を持った者であり、働く意欲が始めから無い者など何の役にも立たないのである。
実戦で使えるようにするには志願者以上の手間を要するのが目に見えており、平時においても戦時においても味方の足を引っ張る荷物でしかない。
軍隊は何よりも効率が求められるのであり、不良の更正機関などと見なすのは言語道断でる。
こういった主張は所謂憂国の士を自称する方々に多いが、国防の任にあたる軍隊にそのような役割を押し付ける者が憂国の士などとは、冗談と言うほか無い。


次に国民皆兵制について。
国民皆兵とは文字通り、一国の国民全てが戦時には武器を取り戦うというものである。
有名どころでは永世中立国として名高いスイスがまさにそうである。
さて、我が国には「東洋のスイスたれ」というマッカーサーの一節をもって様々な主張を繰り広げている方々が居られる。
所謂左巻きの方々が永世中立国=武器を持たない平和の国と勘違いしているのは頓に見られるが、自称憂国の士の方々にも永世中立国に対して幻想を抱いているのは珍しくない。
最も判り易いのは、「米国から自立しろ、しかし周りに信用出来る国は無い、故に中立国となれ」という主張である。
結論から言ってしまえば、実に愚かしい主張であり選択であると言うほか無い。
国家の安全保障とは「国家の生存性を最も高める事」を目的とするのであり、国家の尊厳などと言うものは二の次である。
まして愛国者の方々の自尊心を満足させる事などではないのだ。
そして我が国はスイスとは地政学上で全く国情が異なり、安全保障の面においてスイスの例など全く参考に出来ないと考えるべきである。
スイスの国民皆兵制が有効に機能しているのは、スイスという国の地政学上の価値が「人間」*2であるからなのである。
国民全てが戦時には戦うという意思を示す事により、侵略の意図を他国に抱かせる必要が無くなる。
逆に言えば「人間」以外の価値をスイスに見出し、採算が取れるのであれば何処かの国は中立宣言など無視してスイスを侵略しているであろう。
事実、両大戦で中立宣言を出していたベルギーは、フランスの防衛線を迂回する為という理由だけでドイツ軍に侵略されている。
実効性の伴わない中立宣言など、国家を滅ぼすだけでなく時として周辺諸国の迷惑ともなろう。
さて、我が国の地政学上の価値はなんであろうか。
「資源」と答える者は流石に居ないだろう、大方はスイス同様「人間」と答える。
だが頻繁に見落とされるのは「土地」である。
地政学上の我が国の価値とは、実は「人間」ではなく「土地」なのである。
例えばロシアにとっては多数の不凍港と太平洋に面した長い海岸線、中朝韓にとっては文字通り太平洋への出口である。
そして米国にとっては中東方面を含むアジア地域への一大拠点であり、中露を押さえ込む「蓋」なのだ。
さて、果たしてこのような状況で中立宣言など通用するだろうか?
ベルギーはただの通り道と言う理由で侵略されたのである、それ以上の重要な意味を持つ日本列島をこれらの国々が無視するはずも無い。
国民全員が戦う意思を示したところで、大した抑止力になる訳も無いのだ。
他国に見習うという言葉は、時として我が国の置かれた位置と他国の位置を無視しがちである。
国情を無視した安易な他国への追従を求める言動こそ、何よりも非難されるべきではなかろうか。

*1:ソ連や中国が多用した多数の歩兵で突撃する戦術:質を量で補う戦術であり米国のそれは当てはまらない

*2:人間とは即ち高度な技術蓄積を持った技能者:一例として時計職人が挙げられる