ブラックホーク

正式名称「UH-60
 汎用輸送ヘリ「UH-1」の後継機種として1972年開発スタート、シコルスキー社の「S-70」が競争試作の結果選定され1979年に基本型の「UH-60A」1号機が陸軍に引き渡された。
性能は「UH-1」から大きく引き上げられ、とくに生存性向上に大きく力が注がれている。また武装対戦車ミサイル「AGM-114ヘルファイア」を最大で16発搭載可能と、汎用ヘリとしては重武装なものとなっている。
 同機はアメリカ4軍や各国軍に採用されており、その派生型も多岐にのぼる。主要タイプを列記すると米空軍では救難型「HH-60」長距離作戦用「MH-60G」海軍では対潜哨戒型「SH-60B」「SH-60F」陸軍では汎用輸送型「UH-60A」「UH-60L」特殊作戦型「MH-60A」「UH-60K」海兵隊ではVIP輸送型「VH-60N」沿岸警備隊では救難型「HH-60J」米軍だけで他にもマイナーチェンジや性能向上型が多数存在する。ちなみに日本では空海自の救難型「UH-60J」海自の対潜哨戒型「SH-60J」「SH-60K」陸自の汎用輸送型「UH-60JA」が存在する。
 映画「ブラックホークダウン」の舞台であるソマリアPKOに投入され墜落したのは陸軍特殊作戦型の「MH-60A」である。

こっから映画の方の感想
 今まで観た戦争映画の、いや米映画の中ではトップの評価である。(FMJは観た事無いので評価不可)何より戦闘描写に全力を注いでおり、とにかくひたすら史実を描き上げているのである。「スターリングラード」のように恋愛情緒を混ぜて余計だと言われたり、「プライベートライアン」のようにあの戦車は一体何だと言われる事は無い。方向性は「プラトゥーン」に近いが、全編殆どが戦闘に費やされているのは「ブラックホークダウン」くらいだ。
 ところでBHDに関する論評を見ると、英雄視される米兵の視点しか無いとかソマリア側の描き方が適当過ぎるなどの批判が目立つが果たしてどうだろうか?まず米兵が英雄視されてるという印象は全く受けなかった。大統領がエイリアンを倒す某映画の性かもしれないが、仲間を見捨てないというのは別にアメリカ軍においては普通の事なのだから特に不自然にも感じなかったのだ。例え死体となっても戦友を見捨てないという不文律は、特に過酷な任務に当たる海兵隊や各種特殊部隊にその傾向が強い。湾岸戦争でも撃墜されたパイロットの救出に様々な手段が講じられており、米軍全体としても戦場に仲間を置いていかないと言うのは当然の事になっている。恐らく他の先進国の軍隊も、日本の自衛隊もそうだろうが、遺体だからといって戦場に兵士を放置していったりはしないと思われる。現代の普通の軍隊であれば、仲間を見捨てないと言うのは当たり前と言っても良い筈であり、英雄気取りなどという批判はお方違いなのではと思う。
 次にソマリア側の描き方云々であるが、ファルージャ報道でテロリスト側を全く批判しない日本のマスコミを思えば、あれで十分と思える。当時のニュース映像で暴徒に引きずりまわされるパイロットの遺体を見た事があるが、とてもじゃないが暴徒に感情移入など出来るはずも無かった。それにソマリアPKOに至った経緯を考えると、ソマリア兵への感情移入など無理な相談である。薬でハイになって暴徒同然となって一般民衆に混じって撃って来るソマリア兵と、時の政権によって不十分な兵力で任務に投入されたデルタ・レンジャーの兵士達。これでソマリア兵に情など沸くものか。米兵以外に同情する相手があるとすれば、ゲリラ戦でソマリア兵の盾にされた一般民衆と同作戦の失敗でPKO構想を破綻に追い込まれたブトロス=ガリあたりだろうか。この失敗とPKO撤退がが後々のアルカイダのテロに追い風となった事を考えると、当時のクリントン政権はもっと批判されても良かったはずだ。
 当時の米国務長官マデレーン=オルブライトは神様が金を出してくれる訳じゃないとPKO構想に消極的であり、この事件の後のアメリカ国民も政権も「何故他国の為にアメリカ人が戦って死ななければならないのか」と他国への軍事介入に否定的になってしまった。その答えが9.11のテロであった事を、ブッシュ政権が強権的覇権的であるとの批判を浴びている事を考えると実に皮肉な話である。現在ファルージャで行われている掃討作戦は、より強力な装備と兵力によって成功しつつあるという。果たしてPKO構想に同じだけの兵力が費やされていたら、どんな世界が待っていただろうか。
 OFPのBHDミッションをやっていて痛感した事だが、民間人に紛れて攻撃してくるゲリラは厄介な事この上ない。遠目には武器を持っているかどうかなど判らないのである。米兵かソ連兵かは区別出来ても、ゲリラか民間人かは区別出来ない。ある程度ディフォルメされたゲームですらこうなのだ、現実ではゲリラは銃を服の下に隠すなどして巧妙に民間人になりすましている。それゆえにジュネーブ条約の捕虜取扱取り決めでは、民間人に紛れて行動するゲリラに捕虜待遇を求める権利を与えていない。民間人に明らかに被害をもたらす行為を、同条約は許していないのだ。ゲリラ掃討作戦で民間人の被害を盛んに言い立てて米軍を批判する者が随分と居るが、彼等はベトナム帰りの兵士をベイビーキラーと罵っていた頃から何も進歩していないようだ。イラクから帰還してくる兵士達を待っているのは労いの言葉だろうか、それとも人殺しという罵倒だろうか。少なくとも私には彼等を罵る権利など持ち合わせていないのだけは確かだ。

 さて、実は始まってから40分くらい経ってある事に気付いたので、最初の方は観てなかったりするのだった。Λ||Λ